リサイタルや演奏会(コンサート)の録音に、ノイズは “つきもの” です。咳・くしゃみ、イビキ(!)、飴の包装をとく際のカサカサ、譜めくり、椅子の軋み、衣擦れ、空調…と挙げればキリがありません。人間の耳(脳)の様に賢くないマイクロフォンは、容赦なくこれらの音を捉えてしまうのです。
ライブレコーディングの場合、ノイズが目立つ箇所の修正にリハーサル時の音源を用いる(編集する)ことが多々あります。しかし、音楽的に繋がらなかったりする割合も高く一筋縄ではいきません。また、電気的な(実際の音ではない)ノイズに悩まされることもあります。例えば、リハーサル時には稼働していなかったエレベーターが本番の時間帯に動き出し、それが原因となることも。
このように、録音はノイズと無縁ではいられないわけですが、そもそも「どこからがノイズで、どこまでがノイズではない」のでしょうか。
私が考えるノイズの定義は「音楽の邪魔をする音」です。つまり、“その音” が聞こえた瞬間に音楽から意識がそれてしまったら、“その音” はノイズであると言えるのではないでしょうか。こう考えると、ノイズとばかり思っていた咳・くしゃみは、適度であれば臨場感・ライブらしさを感じる要素かも知れませんし、譜めくりも演奏の勢いを感じる一因となり得るかも知れません。居ると邪魔だけど、居ないと寂しい…そんな経験、ありませんか?
さて、近年は写真の修正と同じく、コンピューターを用いたノイズ除去・軽減が盛んに行われています。シワ、シミが見事に消された広告写真は一見 “きれい” ですが、果たしてそれらは “美しい” のでしょうか――ノイズが毒になるか薬になるかは、人によって(感じ方が)違います。まずは毛嫌いすることなく、ノイズと付き合って行けたらと思う今日この頃であります。
(ノイズをもってノイズを制する技術もあるのですから!)
(ノイズをもってノイズを制する技術もあるのですから!)
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