2014/11/14

サイトウ・キネン・フェスティバル松本/レコーディング舞台裏(最終回)

サイトウ・キネン・フェスティバル松本のレコーディング舞台裏、最終回はサイトウ・キネンの現場ならではのエピソードをご紹介します。

とある曲目でステージ上に所狭しと並んだピアノとオーケストラ。客席側からピアノ、指揮者の順なので、ピアノの蓋に隠れて小澤監督が見えないという事態に……ところが、選りすぐりのステージスタッフによる楽器配置はパズルのような完成度で、すでに動かしようがありませんでした。

そこで、リハーサル中にピアノの蓋を「半開」にしてみるのですが、それはそれで音が犠牲になってしまいます。さてどうしたものかとスタッフ陣が検討を重ねた結果、「指揮者が見えるギリギリのラインまで蓋を開く特注の突上棒」をその場で急遽作ることになったのです。

リハーサルが終わると、舞台袖では調律師さんが本番に向け作業開始、音の響き具合も変わるので、録音のためのマイクロフォン位置もさっそく見直します。リハーサル後に位置を変えているので、技術的リハーサルのない「ぶっつけ本番」での録音は勘と経験(と度胸!)が頼りです。

このように「リハーサルと本番が違う」ことは珍しくありません。状況に合わせて常に臨機応変に動かなければならないわけですが、サイトウ・キネンのスタッフには、この違いを楽しんでいるかの様な雰囲気があります……これはともすると「齋藤秀雄の生き方」が大きく影響しているのかも知れません。

サイトウ・キネンの公式ホームページに、こんな一文があります。

――齋藤秀雄は、近衛秀麿に随伴して渡独、約半年をベルリンですごしたあと、近衛と別れてライプチヒに移り、そこの王立音楽学校に入学、クレンゲル教授に師事することになった。(中略)齋藤秀雄は、クレンゲル校訂の楽譜で練習し、それを携えて教室に赴いた。ところがクレンゲル教授は、「この曲の指使いは私が指示したのよりも、カザルスの方がずっといい。(中略)」と述べて、自分の指使いを消してカザルスのを書きこんでくれた。(中略)――そして、自分の信条をもちながら、よりよいものを求めて、あえてそれを修整する姿勢は、教育の場における齋藤秀雄の後半生の生き方の中にも、いつしか移し植えられていたのであった。(引用おわり)
 (リンク)http://www.saito-kinen.com/about/hideosaito


サイトウ・キネンの現場はまるで “生き物” のように、つねに「よりよいもの」を求めて日夜変化しつづけています。だからこそ、一ヶ月間にも及ぶ音楽祭でありながら、日々新しい発見があるのでしょうね。


さて、私事ですが、長野県へ移住することとなりました。サイトウ・キネン・フェスティバル松本(セイジオザワ松本フェスティバル)をはじめ、長野には軽井沢国際音楽祭や木曽音楽祭、NAGANO国際音楽祭などといったすばらしい音楽文化があります。長野県はもちろん、日本全国からの録音のご依頼、お待ちしています♪


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